五感×頭×製造=パン

2011年01月01日

Interview
Close up TRAIN BLEU
成瀬 正シェフ

  
 
 
幼少時代から
学生時代の話を
聞かせてください。
 

 
春は、高山祭りの賑わい。夏は、山の神社での岩に染入る蝉の声。秋、田んぼで転んだ時の泥の臭いや味。冬、見渡せばまるで水墨画の世界のような山々。幼少時代、高山の雄大な自然が私の感性を豊かにしてくれました。でも幼い頃の私は、習い事すら満足に続けられない子供でした。始めた書道は、先生に怒られて2日で挫折。通った幼稚園もあまりのやんちゃぶりに、3日で「お断り」です。
 私の実家は、学校給食に出るパンを作っていました。小・中学校時代、自分の家のパンを給食で食べて育ったというわけです。友達に「お前の家のパンは硬い」と言われて、よく喧嘩になりました。それが子供心に辛かったこともあり、パン屋は継ごうという気持ちにはなりませんでした。私にとって家業を継ぐのは逃げ道で、最後の手段。学校給食は子供たちの食を預かる素晴らしい仕事ですが、魅力を感じられなかったんです。結局、高校卒業まで何一つ満足に続けられずに大学へ入るのですが、このままでは何にも出来ない大人になると危機感を感じていました。そんな自分と決別するために、たとえレギュラーになれなくても部活は絶対に続けようと決意して、大学時代は体育会の剣道に打ち込みました。この経験が、私の中での転機です。4年間部活をやり遂げて「続けることの大変さ」に気づいたのです。家業である学校給食の仕事は、当時80年目を超えていました。その重みを噛み締めると、「なんて素晴らしいことだろう」と家業の偉大さをようやく理解できました。大学3年の頃までは、マスコミへの就職を希望していました。でも「代々真面目に受け継がれてきた伝統の火を、私で消す訳にはいかない」と強く思うようになり、家業を継ぐことを見据えてパン業界に入ろうと決意したのです。
 
 
  



修行時代に印象に
残っていることは何ですか?
 
 
体がきついことはあっても「辛い」と思ったことはないですね。アートコーヒー時代に、印象深い出来事がありました。まだ24歳、入社して1年半頃のことです。新規オープンの手伝いに行くことになったんです。成瀬ならという期待があったかどうかはわかりませんが、焼き(オーブン)しか経験したことのない私が突然それまで未経験だった「仕込み」をやれと言われたんです。もちろん失敗は許されませんし、やれないとは言えませんでしたね。先輩は「人の仕事を見ていたらわかるだろ!」と言うばかりで、誰かが教えてくれるわけではありません。幸いルセットもあったので3日間挑戦したのですが、初日に「遅い」と言われて気持ちに火がつきました。逆に「ちょっと待ってくれ」と言わせてやろうと、負けん気が出てきたんですね。成瀬にやらせて良かったなと思わせたいじゃないですか。そうして3日目にはスピードも上がって、「成瀬、生地、いったんストップ!」と言われる程になり、自分で仕込んだ生地の分割丸めまでこなしました。やったことがないものでも腹を据えてやればできる。そんな信念ができた良い経験になりました。
 中途採用でホテルオークラに入った時のことも印象的です。最初は、先輩たちがやったものを並べるだけで、なかなか生地に触らせてもらえなかったんです。そこで私はまず人間として認めてもらおうと思い、とにかく掃除、挨拶といった基本の徹底を心がけました。すると1週間位で生地を触らせてもらえるようになったんです。30年前の職人の世界を考えると早い方ですよね。その後は、綺麗に焼き上がればプロセスは問わないという店のスタンスでしたので、クロワッサンの配合はそのままに折り込み方法を変えるなど、効率化や品質向上につながる仕事を追求しました。
 


 
Q独立してから開業まで、
どのような努力を
されましたか?

 
 
それまでの修行を経て、27歳の時に独立しました。やるからには私らしい色を打ち出したいと思い、トラン・ブルーという新しい風を入れながら学校給食も並行して経営して、老舗を守ろうと決めました。高山の住民には「テレビで紹介されるような、お洒落なパンを食べたい」という秘めたニーズがありました。でも、そんなパンを提供してくれる店はなく、みんなあきらめていたんです。こうした気持ちに応えたいという想いも、ここでの開業を決意する後押しの一つになりました。




Q開店当初の苦労話を
聞かせてください。

 
店に出せないレベルのパンを販売したことがあります。当時は「出さざるを得なかった」というのが正直なところでしたが、販売してしまった事実は心にずっと引っかかりました。しかし、味、食感、焼き色などの焼き上がりの着地イメージを明確に持った成瀬社長の仕事を目の当たりにしてきたお蔭で、そのパンが駄目だということをわかっていたし、駄目になった理由も理解していたのは救いでした。ある日、販売経験がある妻に「今のパン出して良かったの?」と問われ・・・


続きはベーカリーパートナー7号でご紹介。

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​TRAIN BLEU
成瀬 正シェフ
Prof ile
1960年岐阜県高山市生まれ。
大正元年創業のパン製造会社の4代目。成城大学経済学部卒業後、(株)アートコーヒー、(一社)日本パン技術研究所、(株)ホテルオークラを経て、1986年に帰郷し1989年、飛騨高山に「トラン・ブルー」をオープン2005年にはクープ・デュ・モンドの日本代表チームリーダーとして総合3位に輝く。
さらに2012年のクープ・デュ・モンドでは日本代表チーム監督を務め、見事日本を世界一に導いた経歴の持ち主。