パンは生き物。ゆえに、同じ作業に見えて同じシーンは一度も無い一期一会の仕事

2011年01月01日

Interview
Close up ムッシュ イワン
小倉 孝樹 シェフ






パンは生き物。ゆえに、同じ作業に見えて同じシーンは一度も無い一期一会の仕事。

だからこそ、生地の状態を見極めるブレない判断基準とブレない信念が大切。

 

高校を卒業した私は
料理人になりたかった

 

Q最初にホテルに就職したきっかけは何ですか?

まず、高校時代に遡るのですが、学校が終わった後、喫茶店でアルバイトをしていたんです。
そこのマスターが料理をかじっていたので興味が湧き、レストランのコックでもやろうかなと思い、詳しく話を聞いたところ、一流の料理人になるのであればホテルだと言われました。私が高校を卒業した昭和50年はオイルショック後の就職氷河期で、一般的にも求人が少なく、ホテル業界もベルボーイなどの募集こそあったものの調理部門の募集は限られていました。
運が良かったとしか言いようがありませんが、品川にあるホテルパシフィック東京から採用通知が来たんです。同期を見渡せば、フランス語が話せる調理の専門学校卒がメインで高卒は私だけ。採用時の約束は調理部門での配属だったのですが、実際に入社してみると大きな宴会のウォッシャー(洗い場)勤務でした。以前は、日雇いのウォッシャーのプロに外注するのが当たり前でしたが、オイルショックを機にコスト削減の風潮から、高時給だったウォッシャーを自社で内製化することになったんでしょうね。
自分のしたい仕事ではなかったので毎日嫌で嫌でしかたなかったのを覚えています。ホテルですから、婚礼が始まると宴会のキッチンに10名ぐらい洋食の料理人が集うのですが、ウエイターに指示を出す背の高いコック帽姿を見て、華やかで格好よいと羨望の眼差しで見ていましたね。


 

ウォッシャーから異動
したくて選んだパン部門

Qホテルベーカリーとはどういう経緯で出会ったのですか?

洗い場から少しでも早く引き抜いてもらいたいという気持ちがあったので、時間が空いている時はチーフクラスの料理人の肩を揉んだり、お茶を出したり、いわゆるゴマすりをしました(笑)そんな時に、宴会の見回りにきた福田元吉氏(※詳細は20ページに記載。以下、親父さん)に「パン部門に欠員が出たからパンをやらないか?」と誘われたのがパンとの出会いでした。当時の私は井の中の蛙で、親父さんが凄い人、偉い人ということを知りませんでしたから、とてもじゃないですが、パンなんてやる気になれませんでした。とは言え、来る日も来る日も洗い場をやるのが嫌だったので、コックの格好ができるから良いかとパン部門にお世話になることにしたんです。動機は不純ですね。通常、調理場に入るまでに洗い場1年、ウエイター1年、パントリー2年の経験が必要とわかっていましたから、4月に入社して夏にパン部門の調理場に入れた私は、コック帽という夢を早々に実現したということになりますね。ただ、パン部門で3カ月間やっても自分の好きな仕事ではなかったのでつまらないと感じていました。ホテルのパン部門は朝が早いので16~17時に仕事が終わるんです。週1回はホテルの仕事が終わってからレストランでアルバイトしていたんですが、実はそっちの仕事の方が楽しんでましたね。

 パン部門で勤続して2年ぐらいしてからでしょうか、親父さんの凄さがやっとわかってきたんです。NHKの特集やTVのドキュメンタリーなどの監修番組に出ていたりしていましたからね。2~3年すると調理場全体に多少なり目が配れるようになり、さらに気付いたことがありました。一番凄いのはパン部門だけではなく、親父さんが調理部門にも人事権をもっていて料理人を動かしていたことですね。福田元吉氏は日本全国に知られているホテルの看板シェフであり、「中華の桜蘭」と「福田のパン」と呼ばれるほどで、洋食シェフより上でした。まさにスターシェフでしたね。

 

 

 

間が悪い私。なんで、なぜ、
見つかるのか


Qホテルでの修業時代はどういう心持ちで取り組んだのですか?

修業時代、パンは嫌いではなかったのですが、パンの仕事を低く見ていてプライドが持てない仕事だと感じていました。毎日辞めたいと思っていたのですが、親父さんに仕事を褒められることが嬉しくて、それを支えにホテルで修行していました。当時のホテルがどういう職場かというと「自己主張しないと生き残れない世界」でした。具体的に言うと、失敗したパンを見て、親父さんが「これは誰が仕込んだんだ?」と問いかけると、先輩が仕込んだにも関わらず先輩が「小倉です」と答え・・・
 


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ムッシュ イワン
小倉 孝樹 シェフ
Prof ile
1956年東京生まれ。1975年 高校卒業後、ホテルパシフィック東京ベーカリー部に入社し、ホテルパンの父と言われる福田元吉氏と出会い師事。一時ホテルベーカリーを離れるが、1989年に浅草ビューホテル ベーカリーシェフに就任し、1995年に同ホテルのベーカー長を任される。2006年、ベーカリーカフェ ムッシュイワンを開業し、2014年現在では、ムッシュイワンに加え、ポラリスという別ブランドを4店舗経営している。