「人」なくして語れない私のパン職人人生  

2011年01月01日
Interview
 
Close up Boulangerie TENDREMENT

渡辺 裕之 シェフ


「人」なくして語れない私のパン職人人生
    パン職人道は礼と感謝に始まり、礼と感謝で終わる







幼少時代
寛大な親のもとに生まれ
美術に熱中



幼少の頃の私は、夏休みにはラジオ体操にはじまり、日が暮れるまで野球に缶蹴り。親には「人に迷惑かけるな!」とだけ言われましたが、それ以外は本当に自由でしたね。剣道や空手もやらせてくれました。武道からは礼節と鍛錬を通して己の限界に挑戦する精神を身につけることができました。本当に親に感謝しています。「子を持って知る親の恩」とは良く言ったもので、私自身が2人の子供をもつ親になって初めて、私の親の懐の深さに感服しています。 
勉強はどうだったかというと当時の私の通信簿はダメでした(笑)でも美術はいつも「5」でした。特に絵を描くのが好きで、中でも油絵。小学校のころから油絵を書き続けていて、今でも時間を見つけては油絵を、描いています。筆のタッチや油の配合で風合いが変わるのがとても楽しいんです。





















修業時代  その壱
『修業先のレストランオーナー』との出会い



高校を卒業した後はベーカリーもやっている菓子屋で修行しました。18歳の下っ端ですから、来る日も来る日も天板の拭き上げなどの雑用、雑用、雑用。ある日はパン部門だったり、人がいなければ菓子部門に回されたりと行ったり来たりが当たり前。絵に描いたような丁稚(でっち)でしたね。嫌になった訳ではないのですが、もともとこの業界に飛び込んだのも料理が好きだったからで、料理の組み立ては奥深く勉強したいと思い、20歳の時に小さなレストランの門を叩きました。
そこでの仕事は前職の経験から菓子とパンの製造でしたが、ここで初めてパンの「発酵」に魅了されたんです。仕込み次第でパンの食感や焼き上がりの表情が変化することがとても奥深く感じて、どんどんのめり込んでいきました。
この時初めて、「パンの道一本でいこう!きちんとパンを勉強していこう!」と決意しました。
とは言ってもこのレストランに製パンに精通した職人さんはいませんでしたから、パンの本を参考に独学でパンを作ってはオーナーとの試食と改善という繰り返し。焼き上がったパンが良い状態なのかどうかもわからない手探りの中で、ポイントや気付いたことを書き止めた大学ノートは何十冊にもなりました。オーナーはもっと専門的にパンの勉強した方が良いと私にアドバイスをくださり、いろいろと視野を広げたもののパン学校に通うお金もなく、現場に勝る勉強の場はないとも考え...


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渡辺 裕之 シェフ
Prof ile--------------
1970年熊本県出身。25歳から前岩田屋Z-SIDE(Gourmets・Oven)に勤めベーカリーチーフ、バイヤーを経験。2002年にカリフォルニアレーズン新製品開発コンテストで大賞、2003年にカリフォルニアレーズン新製品開発コンテストで鉄人大賞を受賞して2004年に『TENDREMENT』をオープン。2012年にはiba cup 2012 日本代表に選ばれ、本大会で4位、飾りパン部門では世界1位を獲得。近年は2013年ジャカルタ、2014年サイパンで技術指導の講演をするなど、日本国内だけでなく活躍の場を海外にも広げている。